五代友厚 オルダリー・エッジ(2)
Godai Tomoatsu, Alderley Edge (2)

オルダリー・エッジ駅
1900年頃のオルダリー・エッジ駅 Alderley Edge railway station, c.1900 ( Manchester Local Image Collection)

オルダリー・エッジ(Alderley Edge)を訪れた五代友厚らは、銅山に赴くとまず地上の作業を見学した。その間、地下では坑道にろうそくを灯す作業が続けられていた。当時の製錬工程は、採掘した鉱石を機械で破砕して、塩酸を満たした水槽に移し、銅を含んだ化合物の水溶液をつくる。これを乾燥して濃紫色のパウダー状にする、というものだった。この段階で純度80%程度となる。これをマクルズフィールド(Macclesfield)の別会社に運び、さまざまな工程を経て硫酸銅の結晶にし、輸出した。ヨーロッパ中の電信柱や枕木に防腐剤として使われ、成功を収めたということである。

製錬作業の説明が終り、一行は鉱山口に向かった。中に入ると、鉱長スティーブン・オズボーン(Stephen Osborne)が暗闇に目が慣れるまでゆっくり進むよう皆を促したが、頭上の両側には数えきれないほどのろうそくが灯され、坑道は存外広く天井も高かったので、見学者たちは安堵したようだ。急坂を下ると、無数のろうそくや様々な色の光に照らされた広い空間が現れた。実際の採掘現場をみて、見学者たちの興奮は最高潮に達した。このとき俊敏に鉱脈や脇坑道に飛び移る日本人がいたと新聞が伝えている。

続いて鉱山会社代表のチャールズ・プロクター(Charles Proctor)は、五代ら日本人と地元の人々をクイーンズ・ホテル(Queen’s Hotel)に招宴し、豪華な食事を振る舞った。プロクターは、英国女王と日本の将軍の健康を祝した後、薩摩代表団の訪問を嬉しく思う旨詳細に述べ、薩摩藩主と五代ら代表団の健康を祝して乾杯した。これに五代友厚が日本語で返礼し、それを堀孝之が巧みな英語で通訳したとある。帰国後、五代が貨幣の地金製造や鉱山業、大阪製銅会社の設立などに関わった背景に、この視察があったことは明らかだろう。

Godai Tomoatsu visited Alderley Edge to see the copper smelting process and the digging site.  After the inspection tour, they were invited to the party at the Queen’s Hotel, held by Mr. Proctor, a Chairman of the Alderley Edge Mining Company.

<参考文献>
Macclesfield Courier & Herald, 16 September 1865
The Derbyshire Caving Club (http://www.derbyscc.org.uk/)

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