
五代友厚らがマクルズフィールド(Macclesfield)を視察に訪れた様子が、1865年8月28日のロンドン&チャイナ・テレグラフ紙(The London & China Telegraph, 28 August 1865)で報じられている。五代らが訪れたのは1865年8月19日(慶応元年6月28日)で、神奈川のポルトガル領事でもあったイギリス人、エドワード・クラーク(Edward Clarke)が同行し、ブロックルハースト(Brocklehurst)家の絹工場を熱心に見学したとある。
マクルズフィールドは、マンチェスター(Manchester)から南へ約30キロ、絹業で栄えた町で、特に絹糸でくるんだ美しいボタンが有名であった。ブロックルハースト家は、絹糸紡績・絹織物業で富を築くとともに、何代にも渡ってマクルズフィールドの市長をつとめるなど、絹産業とマクルズフィールド双方に重要な役割を果たしてきた。
19世紀の初めにジョン・ブロックルハースト(John Brocklehurst)とその弟トーマス・ブロックルハースト(Thomas Brocklehurst)が製糸のみならず織布の生産を始めたことで、ブロックルハースト家の事業はいよいよ拡大し、マクルズフィールド東側のハーズフィールド(Hurdsfiled)地区にアルバート・ミルズ(Albert Mills)等の工場と邸宅を構えた。兄弟の邸宅はそれぞれハーズフィールド・ハウス(Hurdsfield House)、フェンス・ハウス(Fence House)と呼ばれていた。
The London & China Telegraph, 28 August 1865 reports that the three senior members of the party of Japanese from Satsuma visited the extensive silk-spinning and manufacturing establishment of Messrs. J. and T. Brocklehurst and Sons, of Macclesfield on 19 August.
<参考文献>
Ed. Clarice Stella Davies, “A History of Macclesfield”, 1961
The London & China Telegraph, 28 August 1865