
五代友厚らは英国内を視察中、バーミンガム(Birmingham)で銃や双眼鏡、マンチェスター(Manchester)で木綿紡績機械などを購入した。また、マンチェスターの南に位置するマクルズフィールド(Macclesfield)やオルダリー・エッジ(Alderley Edge)で絹糸紡績や鉱山を見学したことが当時の新聞で伝えられている。しかし、マンチェスター市街で訪れた場所を記録したものは今のところ見つからず、特定することは難しい。滞英当時の1865年に存在し、また五代が日本に戻った後深く関わった事業から推し量ると次のようなところだろうか。
当時、ロンドンからの列車のほとんどはマンチェスター・ロンドン・ロード駅(Manchester London Road Station)に到着した。現在のマンチェスター・ピカデリー駅(Manchester Piccadilly Station)である。マンチェスターの中で最も乗降客が多いこの駅は、ストックポート(Stockport)やマクルズフィールドへ行く列車の発着駅でもある。一方、北へ行く列車は、街の北西、大聖堂の近くにあるマンチェスター・ビクトリア駅(Manchester Victoria Station)を起点とした。リバプール(Liverpool)やオールダム(Oldham)へ行く際はこの駅を利用する。

五代らが泊まったホテルの名前はわからないが、当時の旅行ガイドブック「ブラッドショウズ・ガイド(Bradshaw’s Guide)」を見ると、マンチェスターのホテルとしてクイーンズ(Queen’s)、アルビオン(Albion)、パラタイン(Palatine)、クラレンス(Clarence)の名があがっている。これらは一流ホテルだが、マンチェスターには他にも多くのホテルがあったので、必ずしもこれらのうちのどれかというわけではない。クイーンズとアルビオンはピカデリー・ガーデンズ(Piccadilly Gardens)近く、パラタインはビクトリア駅近く、クラレンスはスプリング・ガーデンズ(Spring Gardens)沿いにあった。

Godai Tomoatsu visited Manchester in 1865. There is no information about the places he visited while he stayed in the city of Manchester, but some places can be inferred in connection with businesses he stared after returning to Japan.
<参考文献>
Benjamin Love, “Manchester as It Is”, 1923
George Bradshaw, “Bradshaw’s Hand Book”, 2012 (Old House Books, Facsimile Edition)