
ロンドン・ドックス(London Dockes)に近いワッピング(Wapping)から川向こうのロザーハイス(Rotherhithe)にトンネルが掘られ、この当時たいへんな観光名所となっていた。畠山ら留学生たちはこのテムズ・トンネル(The Thames Tunnel)を歩いて渡り、距離にして四町、つまり400メートルほどのあいだには途中見せ物などもあったという。トンネルはもともと両岸を結ぶ新たな交通手段を確保する目的でつくられたが、長引く工期とかさむ費用に車両を通すめどが立たず、しばらくのあいだ歩行者のみが利用していた。掘削を指揮した技術者ブルネルが発明した工法は画期的で、水底トンネルの建設が可能であることをこのトンネルで実証せしめた。
帰路、畠山たち薩摩藩留学生と案内役をつとめた山尾は蒸気船に乗り、テムズ川を遡上した。当時テムズ川には蒸気船がひんぱんに往来していたものの、鉄道の発達とともに観光船の色合いが濃くなりつつあった。のちに大阪の淀川にも蒸気船が行き交う時代があったが、陸運が発達する明治中頃にはそれも衰微したという。畠山たちは橋のそばの岸に降り立ったと言っている。宿舎のあるベイズウォーター(Bayswater)の最寄りといえばウェストミンスター(Westminster)あたりだろうか。山尾は、薩摩藩留学生たちを宿舎まで送ったあと、五代友厚らが逗留するサウス・ケンジントン・ホテルに向かった。数日後のベッドフォード(Bedford)視察にも山尾は同行しているから、その相談のためだったかもしれない。
Yamao Yozo from Choshu Domain guided a group of Satsuma students to some places in the east of London. After visiting the Tower of London and docks nearby, they walked through the Thames Tunnel and went back by steamboat.
<参考文献>
大久保利謙監修『新修森有禮全集第4巻』「畠山義成洋行日記抄」1994年
犬塚孝明 『薩摩藩英国留学生』 1974年
Andrew Cobbing, “The Satsuma Students in Britain: Japan’s Early Search for the ‘Essence of the West’”, 2000
George Bradshaw, “Bradshaw’s Guide through London and its Environs”, First published in Great Britain in 1861