五代友厚 ロンドンの視察先(2)
Godai Tomoatsu, Inspection of London (2) 

イングランド銀行と王立取引所
イングランド銀行と王立取引所 1873年 Royal Exchange and Bank of England, 1873

柴田日向守(しばたひゅうがのかみ)一行はロンドンの各所を見学した。イングランド銀行において芳名録に記帳を求められた際、そこに数人の日本人の名をみとめたため「考照の為に暫く写し置くなり」 としてその名を書き留めている。

石垣鋭之介
関研蔵
高木政一(政二とも)

ここにある石垣鋭之介は新納久脩(にいろひさのぶ)、関研蔵は五代才助、高木政二は堀壮十郎のことである。

当時は幕府がまだ海外渡航を禁じており、藩が公然と留学生を派遣することはできなかった。そのため五代らが渡欧するにあたり、薩摩藩は表向き甑島および奄美大島等への出張ということにし、さらに全員に変名を与えた。故に、五代らのことが書かれた新聞記事、日本に書き送った手紙などにはすべて変名が使われている。

柴田日向守は幕臣であるので、多くの薩人がヨーロッパにいることをよく思っていなかったに違いない。また、この時期薩摩が幕府を差し置いてパリの万国博覧会に出品しようとしている旨聞かされ憤怒している。

一方、五代も柴田のことを「幕府も箇様の人物を欧羅巴に遣すは、皇国の悪命にして、嘆息に堪え不申候」などと桂久武への書状にしたためるほどに、彼らの英仏での行動に対し不快感をあらわにしている。当時の薩摩藩と幕府の関係が垣間見える。

A shogunate official who was in London saw some Japanese names in the visitors book of the Bank of England.  One of the names was Seki Kenzo, which was the assumed name of Godai Tomoatsu.  At that time in Japan, as going overseas was not allowed openly, Godai Tomoatsu and all the other students from Satsuma were travelling under the assumed names.

<参考文献>
日本経営史研究所編『五代友厚伝記資料 第四巻』 1974年
沼田次郎・ 松沢弘陽校注『日本思想大系66 西洋見聞集』 1974年
宮永孝「イギリスにおける柴田日向守」『法政大学社会労働研究』1999-3

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