五代友厚 ロンドン滞在(2)
Godai Tomoatsu, Staying in London (2)

五代友厚らが宿泊した1865年のランガム・ホテル
ランガム・ホテル The Langham Hotel (Illustrated London News, 8 July 1865)

ロンドンに到着した翌日の慶応元年5月29日(新暦1865年6月22日)、留学生たちはケンジントン公園北側のベイズウォーター(Bayswater)の宿舎に移り、住み込みの英語教師とともに語学習得を目的とした共同生活を始めた。ここには長州藩留学生もよく訪ねてきていたようである。2ヶ月経って薩摩藩留学生たちはロンドン大学の教官宅へ2名ずつ分宿することになる。そして新学期の始まる8月中旬(新暦10月初旬)、ロンドン大学ユニバーシティ・カレッジ(University College London)での本格的な留学生活が始まった。

一方、五代友厚(当時は五代才助)と新納久脩(にいろひさのぶ)そして通訳の堀壮十郎(のちの堀孝之)は、サウス・ケンジントン・ホテルにとどまった。彼らは一時、1965年の終り頃にロンドン大学にほど近いランガム(The Langham)にも宿泊していたようだが、ここは一泊6ポンドもする当時のヨーロッパでも贅を尽くしたたいへん規模の大きなホテルであった。

五代、新納、堀は、留学生たちとは別の役回りがあり、慶応元年12月26日(新暦1866年2月11日)にマルセーユを出帆して日本への帰途につくまで、イギリス国内や大陸ヨーロッパを視察してまわった。この視察中、マンチェスターで紡績機、バーミンガムで銃を購入し、またベルギーとの商社設立計画、パリ万博への出展計画などに奔走した。滞欧中、五代は「欧羅巴に於て国家の基本なるもの二あり、『インヂストレード』『コンメルシアール』と云う」と書き送っており、産業と商業が「国力を充し、強兵に及ぼすことなり」との思いをさらに強めていた。

The Satsuma students moved to a house in Bayswater to develop their language skills. On the other hand, Godai, Niiro and Hori went on tours of inspection of Britain and European Continent.

<参考文献>
公爵島津家編輯所 『薩藩海軍史(中巻)』 1928‐29年
犬塚孝明 『薩摩藩英国留学生』 1974年
日本経営史研究所編『五代友厚伝記資料 第四巻』 1974年
Andrew Cobbing, “The Satsuma Students in Britain: Japan’s Early Search for the ‘Essence of the West’”, 2000

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